弁護士中山の「私の一冊」

えっ,本当にあった日本人のアマゾン移民計画 (2010.8.16)

垣根涼介 「ワイルド・ソウル」 幻冬舎文庫・新潮文庫

 

  自分のルーツに興味を持たれたこと,ありませんか。由緒ある家では代々伝わる家系図があったりします。天皇家は,皇祖神である天照大神から現在まで,即位した天皇を中心とした系譜が皇統譜により明らかにされています。

  我々庶民がルーツを辿るには,本籍地の役所からはじめて自分の戸籍,親の戸籍,さらに上の代へ改製原戸籍を遡って調査することにより可能です。ただ,現行の戸籍制度自体,明治初年に創設されたものですから,公式にはそれ以前に遡ることは出来ません。ですが,戸籍により,明治初年の段階で生存していた人の親の代まで,すなわち1830年頃までは明らかになるのです。ちなみに坂本龍馬は,1836年の生まれとされていますから,その時代,つまり幕末まではわかるということですね。それ以前ということになれば,あなたの家に菩提寺があれば,お寺の過去帳を辿ることが可能です。過去帳には,そこで葬られている人の俗名と死亡日が帳簿のように記録されているのです。寺院にもよりますが,その寺の発祥までは遡ることが出来るでしょう。ここまでやれば,横溝正史の「八つ墓村」みたいに,かなりおもしろくなりますね。

  話は変わって,仕事柄,遺産相続の相談を受け相続人の調査をすることがあります。亡くなった方の戸籍調査をして相続関係図を作成します。弁護士には,法律上,職務上調査のために他人の戸籍謄本等の取り寄せが認められているのです。

  ところで,調査の結果,戸籍上は明治生まれなのに,未だ生存しているものとして記載されている不在者の存在が明らかになることがあります。例えば,1910年生まれの人が戸籍上生存しており,生きておれば100歳になっているのです。もちろん,当該不在者は生死不明で,戸籍上はそのままになっているのですが,関係者によれば,「戦後,ブラジルに移住して,その後の消息はわからない」というのです。この様な場合には,民法上,失踪宣告の申立をなし,不在者を死亡者として相続関係の処理をすることが出来ます。

  件の不在者は戦後,ブラジルに移住したのですが,もちろん戦前も南米への移住はあったのです。戦後の移住として特筆すべきなのは,当時の食糧難の中,驚くべきことに,国の事業として「日本人の移民計画」が実行されたことです。移民先は,ブラジルの他,パラグアイ,ドミニカ,ボリビアなどです。約4万2500名がこの計画により移民したといわれています。

  本作品は,戦後,日本の安易な移民計画によって南米へ移住させられ,後に「アマゾン牢人」と言われることになった人たちの悲惨な物語をベースにしたものです。

  当時の日本政府外務省が発行した「移住者募集要項」によれば,「アマゾン各地には,既に開墾が終わった農業用の入植予定地があり,灌漑用水や入植者用の家も完備している」と謳われ,しかも,「入植者家族には,それぞれ20町歩もの土地が無償で配分される」という。猫の額ほどの畑を必死に耕作していた者にとっては夢のような話だった。当然,無資産の応募者が殺到した。当時23歳の衛藤も,せせこましい日本を離れ,地平線まで緑の広がるブラジルの大地を耕して,やがては大農場を持つ身分を夢見て応募する。新妻と弟を連れて,審査に合格。あとは,親戚中を駆け回って渡航後の当面の生活費を捻出。いよいよ,ブラジルへ向けて新造移民船「サンパウロ丸」にて出航。ブラジルサンパウロからアマゾン川に入り,何度も船を乗り継ぎ,アマゾン川上流をひた上り,1ヶ月半以上かかって目的の入植地,クロノイテに到着する。

   しかし,夢はそこで砕かれる。一面が暗い密林に覆われた土地,灌漑排水設備や入植者用の家はおろか,開墾済みの畑さえどこにもない。日本から財産を整理してやって来た彼らに退路もなく,まずは仮住まいする小屋を建てるしかない。国によるアマゾン移民事業自体が,戦後の食糧難時代に端を発した口減らし政策,棄民政策だったのだ。しかし,衛藤を含むこの地に降りた12家族50人は,くじけるわけにはいかなかった。農業には適さない酸性土。石灰を混ぜて中和させてもスコールにより流されれば,元の木阿弥である。それでも開墾し,かろうじて野菜を作ることに成功する。しかし,野菜を食べる風習を持たない現地ではさっぱり売れない。ただ,原始密林生活の中,小動物,魚,フルーツは豊富にあり,食べるには困らない。ジャングルでの生活は,マラリア,アメーバ赤痢,黄熱病などの風土病に悩まされる。そんな自給自足と想像を絶する地獄のような生活の中で,1人また1人と多くの仲間が病に斃れる。絶望し,逃散する一家。残る仲間も次々に朽ち果てていく。妻と弟を病で亡くし,絶望し現地を逃げるようにして去る衛藤。日本政府への復讐心を胸に,南米の都市での長く過酷な放浪生活を経て,10年後,何とか生活にゆとりを持つことで出来るようになる。同胞との約束を果たすために,再びアマゾンの入植地に戻ってきた衛藤だったが・・・。そこで彼が目にしたものは・・・。一方,逃散した家族の中で1人生き残った5歳の少年松尾は,アマゾンのジャングルを彷徨う中,コロンビアのコカイン・シンジケートのドンに拾われる。いずれ英才教育を受け,シンジケートの日本支部長として日本に帰国することになる松尾。 

  衛藤は移住から40数年の時を経て,3年間の年月をかけて周到かつ綿密な報復計画を立てる。そして衛藤は,松尾ら関係者を含めたった4人で日本政府に対する報復を仕掛ける。完全犯罪はなるのか?

  作品はアップテンポに進み飽きさせません。日本の南米移民政策という愚策の史実をベースにしているだけに,迫真感が溢れています。本当にこんな馬鹿げた政治があり,実行に移されたのかとあきれてしまいました。サイドストーリーとして,実行犯の1人ケイと報道記者貴子とのショート・ラブストーリーが描かれています。おかしな2人の男女の機微が最高に可笑しくてかなり笑えます。この恋の行く末はいかに?

  ラストも気持ちよく仕上がっており,本当に久しぶりの秀作だと思いました。

  作者は66年長崎県諫早市生まれ。筑波大卒,00年旅行代理店の添乗勤務の傍ら描き上げた「午前三時のルースター」でサントリーミステリー大賞,読者賞をダブル受賞してデビュー。04年本作品で大藪春彦賞,吉川英治文学新人賞,日本推理作家協会賞を受賞し,史上初の3冠受賞となる。05年「君たちに明日はない」で山本周五郎賞受賞。本作品は,2ヶ月間の南米取材と1年の執筆期間を要した400字詰め原稿1314枚,読み応えアリマス。06年映画化が発表されましたが,残念ながら実現されていません(了)。

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